こんばんは、ドクトルです。
このブログでは皆様に役立つ歯科の知識、時事ネタなどお伝えしています。
今回は、本日NHK「ハートネットTV」で放送されました、終末期におけるACPの回を見て思ったことを綴っていきます。
特集・終末期の生を支える(2)人生の最後をどう話し合うか
終末期については、本日の放送をもって2回目となります。
先週の2月8日に1回目が放送されましたが、内容は「緩和ケア医の現場からの終末期について」でした。
今回の2回目のテーマは、タイトルにもある通り『ACP』です。
以下、概要も併せてご説明していきます。
『ACP』とは?
ACPとは、Advanced Care Planningの略で、一般的には「人生会議」と称されることが多いです。
特に終末期において、患者意思決定を支援するものです。
こういった考えが注目された背景として、命の危機に陥った時およそ7割の人が意思決定が難しい、という現状があります。
国もこの現状に対し、深刻に受け止めており、現在は厚労省からACPについてのガイドラインが定められています。
※リンクはこちらから
では、実際の現場ではどういったように用いられているのでしょうか?
筑波大学附属病院:木澤義之先生の場合
場面は筑波大学附属病院にて。
膵臓癌ステージ4で余命宣告を受けた患者、春子さんに対し、ACPを行っています。
医師:木澤 義之先生は、ACPで確認する主な項目は以下の3点であると語ります。
- 延命治療を望むかどうか
- 最後のときをどこで過ごしたいか
- 誰に意思決定を委ねるか
この3点を通して、患者さんの意向と一致した治療やケアが提供できることが理想であると。
今回は2点目の「最後のときをどこで過ごしたいか」について言及しています。
春子さんは以下のように語ります。
いよいよ悪くなったら病院に行きます。
春子さんは、「最後のときは病院で過ごす」ことをご希望されました。
この答えの背景について、木澤先生は深掘りしていきます。
その奥底っていうか、背景にあるものを知っておきたいんですけど
春子さんは以下返答します。
- 核家族なので、主人と娘しかいない
- この家庭環境で介護をさせるのは物理的に難しいと感じている
- 家族には家族の人生、社会の関わり方がある。それを縛ってまで面倒を見てもらうのには抵抗がある
つまりは、身内に負担をかけたくないので、病院を選択した、ということが分かりました。
加えて、娘様(夏美さん)の意見も併せて聴取していきます。
- 介護する分には別に大丈夫
- 親孝行を今したい
- 母の意向を最後まで支えたい
自宅で看取りたいという気持ちがあるものの、母親の意見も尊重したいというある種ジレンマに駆られているようです。
木澤先生は、「上手く折り合いをつけていけたら良いですね。」と語りました。
ACPについて、木澤先生は以下のように定義づけます。
『患者さんが受けたくない治療を受けないで済むような仕組み、そして望んだ治療を受けられる仕組み』
木澤義之先生はなぜ『ACP』を推すのか?
木澤先生が「ACP」を推す理由は「事前指示書」にあります。
※事前指示書とは
判断能力を失った際に、自分に行われる医療行為について希望の可否について事前に意思表示する為の文書。
項目は心肺蘇生の有無、人工呼吸器の使用の有無、抗生剤の有無、胃瘻の可否、鼻チューブの可否、点滴の有無、その他の希望
この事前指示書に対し、木澤先生はたいへん抵抗があったとのこと。
患者さんの多くは、希望としては「助かりたいです」「できれば奇跡が起こって病気が治ればいいのに」って言うんですよね。
その方に生命維持治療をどうするか、心肺蘇生をどうするかという紙を僕は渡せなかったんですよね。
文書には相手がいない。しかし、相手と直接話し合うことで、患者さんの価値観を理解できる。その価値観に基づいてこの人はこういう人だからこういう理由でこう考えるんだという、奥底にあるストーリー性を理解できるってのが大きいんですよね。
直接対話を通じて、患者さんを深く理解できる。
これぞACPの強みである。そう木澤先生は語ります。
※木澤 義之先生についてのプロフィールはこちらから
鳥取大学医学部 准教授:安藤泰至先生の場合
安藤泰至先生の場合、ACPについてはやや慎重な考えをお持ちでした。
安藤先生は以下のように語りました。
- 医者と患者・家族の間にはある種主従関係みたいなものがある。それ故、誘導尋問みたくなる恐れがある
- 患者は常に不安であるが、「決めるのはあなたですよ」と言われると余計に不安になる
- 患者さんが「もっと長く生きたい」と言った時に、「受容が十分でない」とマイナスに判断する医療者がいた場合、本当の患者の本音が受け取れない可能性がある
つまるところ、患者の自己決定権を尊重できない医師がACPをすると、それはただの独りよがりな尋問に成り下がる危険性がある、と警鐘を鳴らしています。
※安藤泰至先生のプロフィールはこちらから
在宅医:紅谷浩之先生の場合
在宅医の紅谷浩之先生は、ACPについて以下のように語りました。
- 患者さんが大事にしているものの思いのほうが生きてくる
- ポジティブな話を共有しておくほうが、終末期の選択をする時に助けになる。
- 医療やケアは必ずしも決めうちする必要はない。途中迷っても大丈夫。決めたものに引っ張られすぎるきらいもある為。
- 結論を急ぐのではなく、その人らしさ、その人の選択を見つけていくことがACPの種になる
紅谷先生は、ある患者さんを一例に挙げてくれました。
余命宣告されたとある男性患者。
小学生の娘がいて、その子はソフトボールを習っていたとのこと。
患者さんは、練習に付き合うことはもちろん、仕事を休んでまで試合を観戦しに行っていた。
やがて病状が悪化し始め、あまりにも体調が悪いので「今度の試合には行けない」と仰ったそう。
しかし、紅谷先生は「いや、ダメです。行きましょう。」と言い試合を観戦した。
そして、その翌日患者さんは亡くなった、と。
なぜ体調が悪い患者さんを、試合を観戦させたか。
紅谷先生は、こう語ります。
この患者さんは、いつも娘さんのソフトボールの試合のビデオを自慢気に見せてくれた。仕事を休んでも全ての試合を見に行っているその方と、「今度の試合には行けない」とおっしゃたのがどうしても合わなかった。プロセスに合わないんです。
僕はプロセスを大事にして、参加を提案しました。
「病気に言わされている」と思ったんですよね。それは、普段の患者さんとの会話で「ACPの種」を集めていたから。
患者さんが心から大事にしているもの、そしてその人らしさ。それは普段の付き合いの中で地道に知っていくべきで、これがACPである。
※紅谷浩之先生のプロフィールはこちら
感想
では、私の感想を以て結びとさせていただきます。
この「ACP」って私が所属している老年学会でも盛んに話題になります。なので、在宅訪問をしている身としては、今回の放送はたいへん有益なものだったと感じております。
ACPって医者に限らず、歯科医でも必要な場面があると最近思います。
例えば私の場合ですと、「意思疎通不可・経口摂取困難、だが経口摂取を望む家族」のようなケースでしょうか。
とある施設でこういった入居者さんがいます。
重度認知症女性、発語なし、口も開かない。飲み込みも悪い。
明らかに経口摂取が困難だが、食事を水に混ぜドロドロに溶かし、楽飲みを駆使しながら無理やり流し込んで食事をしている。
そして時間もかかる故、後半疲労も顕著に現れる。
こんなの、もはや食事とは言えないであろう。
私は聞きました。「胃瘻の選択肢はないのでしょうか?」
施設職員は答えました。「ご家族が望んでいないので….」
だったら仕方がない。と表面上は退きましたが….
「本人はこういう形を望んでいるのだろうか?」そんな思いが重くのしかかりました。
そしてこういった場面を見て、いつも思います。
「コミュニケーション取れる時に、もっと早くに本人の気持ちを知れたら….」と
認知症が進んでしまったら、本人の意向も聞けないので、かなり困難な状況になります。何よりご家族との擦り合わせが出来ないのが、最大の苦難といえます。
なので、もし自分がACPを行う場面が出てきた時は、食事のことは優先して聞こうと肝に銘じます。
これは、紅谷先生が仰っていた「ACPの種」を集めることにも繋がりますよね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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