NHKスペシャル『認知症の母と脳科学者の私』〜恩蔵絢子先生が語る「母らしさ」とは?

アルツハイマーの二人の老人 訪問歯科関連
スポンサーリンク
ドクトル
ドクトル

こんばんは、ドクトルです。

このブログでは皆様に役立つ歯科の知識、時事ネタなどをお伝えしています。

要点はマーカーで引いておりますので、その部分を読むだけでも内容はご理解いただけるかと思います。

さて今回は、本日NHKスペシャルにて放送されていた『認知症の母と脳科学者の私』の回について触れていきます。

認知症になっても、「その人らしさ」は残る。

出演していた恩蔵絢子先生(娘)はこう語っていました。

では「その人らしさ」とは一体何か?

出演者について

まず、本放送分の出演者の方々について簡潔にご紹介していきます。

出演者① 母:恩蔵恵子さん 73歳

タイトルにある通り、お母様は認知症を患っています。

65歳で認知症の診断を受け、それから8年経過しています。

普段していた料理を全くしなくなったのが、異変に気づいたきっかけ。

認知症になる前は、家事も料理もこなす完璧な主婦だったとのこと。

また音楽も好きで、40年間自宅で音楽教室を開いていたそう。

自分の名前も、生年月日も分からない状態であるが、自立歩行可能。比較的お元気な方です。

出演者② 娘:恩蔵絢子先生

そして二人目は、娘様である恩蔵絢子先生。

なぜ先ほどから、語尾に「先生」と付けているのかと言いますと、脳科学者の先生だからです。

現在は、早稲田大学にて教鞭を取っています。

経歴、プロフィールについてはこちらをご参照ください→「恩蔵絢子 経歴・プロフィール」

また、Twitteのアカウントはこちらから→恩蔵絢子 Twitter

書籍はこちら⏬(「脳科学者の母が、認知症になる」:今日の内容を深く知りたい方にはオススメです)


脳科学者の母が、認知症になる 記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか? (河出文庫)

現在、お父様と二人三脚にてお母様を介護されています。

出演者③ 東北大学脳科学センター 瀧 靖之教授

そしてもう一名が、東北大学脳科学センター 瀧 靖之教授です。

「認知症になっても私の知らない母はある。その母を知りたい」

こういった思いを胸に、恩蔵絢子先生は、お母様の脳を科学的に、どの機能が保たれているか、どの部位が欠落しているのかなど、細かく分析しています。

その一助になっている方が、瀧 靖之教授です。

プロフィールはこちらから→瀧 靖之教授

認知症について、恩蔵絢子先生はどう捉えているか

脳の機能のみならず、人格まで奪ってしまう認知症。

この認知症について、恩蔵絢子先生は、脳科学者、そして娘の両方の観点において次のように捉えています。

認知症になっても残っている機能はある

前述しましたが、恩蔵絢子先生は、認知症になったお母様の脳を定期的にMRIで撮影し、長年分析しています。

脳を分析することで、お母様のことを理解しようと試みているという、我々庶民からは考えもつかない、何とも斬新なアプローチです。

東北大学脳科学センターの瀧 靖之教授との共同分析により、お母様の脳は、後悔、罪悪感を感じる部分、そして運動、音楽に関与する小脳など、数箇所の高次脳機能が残存していことが分かりました。

現に恩蔵絢子先生は、お母様が好きだった歌を利用し、音楽療法を取り入れてます。

歌うお母様を見て、恩蔵絢子先生はこう語っていました。

『母は眉毛を寄せて心を込めて歌っていた。歌えるかどうかは、介護認定のチェックリストに入っていない。歌は誰にも認められず埋まっていた能力である。』

ドクトル
ドクトル

こういった、隠れた個々の能力を引き出すようにする姿勢も非常に重要ですね。

認知症になっても「その人らしさ」はあり続ける

冒頭にも少し書きましたが、たとえ脳が萎縮しようとも「その人らしさ」は残り続ける、と語っています。

では、「その人らしさ」とは一体何なのでしょうか?

恩蔵絢子先生はこう語ります。

  • その人らしさは能力でなく感情にある
  • 自分で行動したくてもできない悔しさ、羞恥心、人の役に立ちたい、料理を作りたい….etc こういった常にある感情が「その人らしさ」 である
  • 元気だった頃から認知症になった今も含めて「母らしさ」と呼びたい

その人らしさ、それは即ち「心の内に秘めた思いにある」

母が認知症になって初めて、母の人生を考えるようになった

「その人らしさ」を考えるにあたり、恩蔵絢子先生は初めてお母様のことを熟考するようになったと語ります。

どういう人生を歩んできたのか。どういう性格だったか。そもそもどういう人だったか。

認知症は、恩蔵絢子先生にとって『母と出会い直す時間』になったと。

まとめ〜認知症に対しての受け皿が課題

では、私の感想を以って結びとさせていただきます。

認知症の方でも秘めた原石がある。これは大きな学びになりました。

しかし問題となるのが、認知症の方に残された高次脳機能をどう引き出すか、いかにして見つけるか。これが一点。

そしてもう一点が、そもそも認知症を「個性」として捉えれるかどうか。

施設など管理下の現場において、再現性はあるのかどうか。どうでしょうか。

正直申し上げると、介護で疲弊している方々に対して、「認知症でも、それはその人らしさです。前向きに捉えましょう。」なんて言えないですね自分は。

なので結局のところ、介護者の心のゆとりと、余裕ある環境が揃った状態でないと厳しいのではないかなと考えます。あまり環境のせいにはしたくありませんが。

しかしながら、認知症の方を無下に扱うのではなく、何が好きなのだろうか、何が嫌なのだろうか、どういう生活歴を辿った方なのだろうか、など歩み寄る姿勢は大事にしていきたいですね。

※再放送日は1月11日午前1時10分〜です

スポンサーリンク

ここまで読んでいただきありがとうございました。

ブログランキング・にほんブログ村へ
PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました