こんばんは、ドクトルです。
このブログでは皆様に役立つ歯科の知識、時事ネタなどお伝えしています。
さて本日は雑記。「どうする家康」第2話の、私独自の感想及び批評を、出来る限りコンパクトに記していきます。また、タイトルにもある通りネタバレ注意です。
先週、NHK大河ドラマ「どうする家康」第1話が放送されましたが、皆様いかがでしたか?
SNSで口コミを見てみると、少々期待外れという声が多かったように思えます。
- いきなり義元が死んで、展開が早すぎる
- 乗馬のCGがひどい、違和感満載
- 内容が全体的に薄い
- 「鎌倉殿の13人」と比較すると、見劣感が否めない
- 岡田准一の「俺の白うさぎ」のセリフがやばい
などなど、ネガツイが目立ちました。
ですが、まだ始まったばかり。私は期待します。
ついでに、第1話の感想につきましてはこちらの過去記事をご参照ください⏬
前回までのあらすじ
では、本題に入る前に前回までのあらすじについて、おさらいも兼ねて簡潔に記していきます。
時は永禄3年5月19日。
今川vs織田の「桶狭間の戦い」が開始された。
戦況については、今川側の家康は大ピンチ。織田信長により今川義元が討ち取られてしまったのである。
急遽、統率を取らなければならなくなった家康。
しかし不幸はさらに重なる。何と信長が本陣に向かってきているとの報せが。
どうやら幼少の頃から、信長にはかなりのトラウマがある家康。
その信長が、もう目の前まで攻めてきている….この状況をどう切り抜けるか!?
第二話「兎と狼」のあらすじ
それでは本題に入りましょう。
繰り返しになりますが、以下ネタバレなので、録画予約されている方はここでストップしてください。
とうとう攻めてきた信長
どうする、どうすると慌てふためいてたのも束の間。
決断を下す予断も無く、信長到着。
「俺終わったわ….」と言わんばかりのこの表情。
幼少の頃を思い出す家康。
「俺の可愛い白うさぎ。俺のおもちゃ。」と虐められていた日々。
こんなことされれば、トラウマにもなりますわな。
話を戻します。
信長側、なぜか攻め入る気配が全くない。
不審に思っていたが、結局信長は一時退散。どういう風の吹き回しなのか。
幸にして、家康は無事一命を取り留めたのである。
駿府に戻るか岡崎に戻るか
一方、岡崎では、戦に恐れ慄いた岡崎城城代・山田新右衛門が城を置いて逃げたとの報告が入る。
岡崎とは、家康の家臣達の故郷にあたる。
城主がいなくなった今、攻めいられるのはもはや必然。
「岡崎に戻りましょう」家臣は提案する。
しかし、家康は駿府に戻りたいと拒否。なぜなら駿府には嫁と子供がいるからだ。
チーム内で意見が食い違い、苛立ちを見せる家康。
「もうよい。一緒について行きたいやつだけ来い。」
いじけた捨て台詞を吐く家康であった。
救世主?松平昌久(東京03:角田晃広)登場
何だかんだ家康には、何名かの家臣がついてくることになった。
そして旅路の帰路の途中、とある人物が「助けに参った」とやって来た。
その人物の名は松平昌久。
迷う家康。もしかしたら手先かもしれない。
考えた結果、相手の言葉を信じることに。
しかし、この判断が見誤る結果となる。この松平昌久、容赦無く家康に発砲を仕掛けてきたのである。
多くの負傷者で溢れ返った家康側。
家康は無傷で済んだが、家臣達が重傷を負った。
一旦岡崎の方に逃げ、手当を優先することにした。
岡崎大樹寺にて
岡崎、大樹寺にて家康は一旦待機することに。
負傷者で溢れかえる岡崎。特に被弾をかなり受けた爺は、命すら危うい状況に。
己の無力さに、只々自分を責めることしかできない家康。
そして不幸は続く。
松平昌久の軍団が、押しかけて来たのである。
もはやこれまでと思った家康。
戦意喪失した家康は自害を試みる。
「すまん。わしは帰れぬ。」
切腹の見届け人は、その場に居合わせた平八郎(後の本田忠勝)
しかし、平八郎は言った。
「拙者の本望は、お主を主君と仰ぎお主を守って死ぬことである。」
重ねて、榊原康政の
「厭離穢土欣求浄土とは汚れた世を正し太平の世を目指すものです。」
これらの言葉に突如目を覚ました家康。
「我は虎の化身、松平蔵人佐元康である!」
覚醒した家康。
虎の如くの気迫で松平昌久の軍勢を蹴散らす。
完全に心を入れ替えた家康。
テンションは収まりきらず、「皆の者、我に続け」と言わんばかりに豪語する家康。
しかし、最後はハッタリをかましすぎたことを後悔する家康であった。
感想・批評
では、私の感想と批評を以て結びとさせていただきます。
個人的に思う、第2話の見どころは岡崎大樹寺での家康と忠勝のシーンでしょうか。
忠勝の率直な思いを受け、示しをつけ直す家康。ここから固い絆が生まれたのか、と思うとかなり胸熱です。
ちなみに、大樹寺で言われた「厭離穢土欣求浄土」という言葉は、家康のジンクスにもなるほど影響を受けた言葉だそうで、旗印に記していたそうです。
加えて細かいことを言うと、「厭離穢土欣求浄土」の件は、榊原康政でなく登誉上人(住職)が教えたとのことです。(詳細は岡崎おでかけナビより)
前回よりも勇ましい部分が出てきた家康。
しかし周りは未だ敵だらけ。これから襲いかかる苦難を乗り越えれるのか?次回も楽しみです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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