こんばんは、ドクトルです。
このブログはトレンド雑記ブログです。
今から4年前の、2019年7月18日
「京アニ放火殺人事件」が世間を賑わせたのは記憶に新しいと思う
放火に伴い、犯人自身も9割を超える大火傷を負い長年治療をされていたとは聞いていた
そして4年の時を経た、今年
ついに初公判が開かれることとなった
医師:上田敬博の経歴と人物像について
今回、個人的に注目したいのは、本事件の内容というよりは、青葉真司被告の治療にあたった、医師:上田敬博の経歴と人物像である
以下簡潔ではあるが、記載していく
医師:上田敬博の経歴について(高校・勤務先など)
一応最初にお伝えしておくと、上田敬博先生の専門は「熱傷治療」である
では、以下に経歴について記していく
- 1971年12月17日 福岡県福岡市にて生まれる
- 福岡大学附属大濠高校卒業後、3浪の時を経て近畿大学医学部医学科に入学
- 1999年 東神戸病院研修医
- 2001年 大阪府済生会千里病院千里救命救急センター レジデント
- 2006年 兵庫医科大学病院 救急・災害医学教室(救命救急せんたー)助教授
- 2010年 兵庫医科大学病院救命救急センター 副センター長
- 2014年 兵庫医科大学医科学研究科(生体応答制御系)博士課程修了
- 2016年 Robert Wood Johnson Univ.Hospital 外傷センター
- 2018年 近畿大学医学部附属病院 救命救急センター講師
- 2018年 近畿大学医学部附属病院 熱傷センター設立
- 2020年 鳥取大学医学部附属病院 救命救急センター教授
- 2021年 鳥取大学医学部大学院医学系研究科 救急災害医学教授
- 2022年 鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター教授
以上見て取れるように、華々しい経歴の数々である
参考までにホームページはこちら⇨「上田敬博 ホームページ」
上田敬博先生の人物像について
ここでもう一つ注目したいのが、上田敬博先生の人物像について
「京アニ放火殺人事件」では30人以上の方々が無差別に殺害された
青葉被告が言うに、事件の動機は「自分の小説が掲載されなかったから」などなど、あまりにも身勝手なものであった
こんな自己中心的な殺人犯を救出するのは、普通誰も率先しないと思われる
下手すれば世間からも非難を浴びるかもしれない
そんなリスキーの渦中、上田敬博先生は、目の前にいる殺人犯を治療するにあたりどういう思いだったのか?
上田先生が言うに、当時は「とにかく助けなきゃいけない」という思いでいっぱいだったのとこと
事件当時の報道番組の動画を参考に、以下4点に絞って詳細を記していく
①加害者・青葉真司が搬入された時の感情について
患者とはいえ、相手は殺人犯
治療を引き受けるにも、やはりある種葛藤はあるだろう
上田先生は語る
「容疑者であろうが加害者であろうが考える余裕はなかった。まずは治療に専念しなければならなかった。治療のこと以外考えられないぐらい酷い状態だったので。雑念というものを考える余裕がなかったというのが正直なところです。」
境遇がどうであれ、目の前の患者をただひたすらに全力で助けるという姿勢に、上田先生の医師としての倫理観が垣間見れる
②加害者・青葉真司との会話
「療養期間において青葉被告の心境はどのように変化していったのでしょうか?」
これについては、上田先生自身も分からないとのこと
ただ、命に対する価値観については少しの変化があったかもしれない、とのことだ
以下、療養当時の青葉真司被告と上田先生の会話を抜粋する
上田先生:「もし悪いことをしたという思いがあれば償いをしないといけない。そのために治療を受けなさい。」
青葉被告:「こんな自分をなぜ治療してくれるのか?」
上田先生:「自分は治療する立場の人間。どういうバックグラウンドであろうが治療が仕事。」
上田先生:「自分と関わって生きている価値観が変わったか?」
青葉被告:「変わらざるを得ない。」
加えて、上田先生は語る
「自分との関わり、また自分以外の看護師・リハビリ師などの多くのスタッフと関わることで彼(青葉被告)の死生観がどう変化したのかを知りたいし、変わっていてほしいと思う。」
殺人犯という背景は抜きにして、自分との関わりを通じて価値観が変わってほしいと望む上田先生。
どんな患者であれ、とことん寄り添うという、正にホスピタリティに溢れた医師であることが分かるかと思う
③加害者・青葉真司を助けなければならなかったのか?もしくは助けようとしたのか?
上田先生は以下のように語る
「一般的に、私だけなくて医師という職業をやっていれば、目の前で絶命しかけている人がいれば、その人がどういう人間であれ救命する・助けるというのが当たり前だと思っています。」
④死刑になるであろう加害者・青葉真司を救命するにあたり、通常の救命とは違った感情だったのか?
死刑囚を救命するという、もはや特例中の特例であるが、こういったケースでも上田先生の感情は通常運行であったのか。
上田先生は以下のように語った
「基本的に治療するにあたって自分は感情は入れません。目の前の広範囲の熱傷の患者さんをいかに救命するか、社会復帰させるかというのをやってきてますので、そこに感情は全く必要ないと思います。私がやることは救命することであって、その人がどういう裁判を受けたりとか判決を受けたりするかとかは、それは司法の仕事であって、私は救命することが仕事。私は迷わず任務を遂行する。ただそれだけです。」
以上4点から見るに、上田先生は医師としての任務を冷静に実行する、正にプロフェッショナル精神に溢れた医師であることが分かる。
まとめ
というわけで、以上、上田敬博先生の経歴と人物像についてでした。
殺人犯に命綱を渡す行為は、ある一定数から世間の反感を買うことにもなり得ない
にも関わらず、雑念に左右されずに、終始冷静に目の前の任務を貫徹するという、そのプロ根性には感服する思いだ
医師たる者「医療倫理の4原則」に則ることは当然である
しかし場合によっては、それは綺麗事に聞こえることもあるだろう
言葉で言うだけならば簡単な話だ
実際に行動する者が強い人間である
上田先生を見て、改めてそう思いました
ここまで読んでいただきありがとうございました
※参考動画はこちら⇩
コメント
治療して罪を償わせるという医療倫理は十分理解できます。しかし、何でも判断能力がなかったことにして無罪にしようとする弁護理倫理は理解できませんね。
返信遅れて申し訳ございません。
コメントありがとうございます。
仰る通り、精神衰弱の理屈は通すべきではないと思います。
しかも今回に至っては、確実に動機はあったわけですから。
最近の報道では、遺族の質問に逆ギレしたりと、本性が顕になってきておりますし。
厳罰を望みます。